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井手の沢古戦場

当神社は東京都旧跡「井手の沢古戦場」に建っています。
十二世紀末鎌倉に幕府が設置され鎌倉街道が整備されると、当地は北関東から鎌倉へ通ずる街道の中でも重要な地点となりました。府中方面からここまでは丘陵地で起伏がありますが、ここから鎌倉までは一気に兵が押し下れるからです。
土地の形状から砦の如き城が築かれていたであろうとの研究も為されています。

建武2年(1335)足利尊氏の弟直義は、鎌倉幕府再興を図り信州から一路南下した北条時行の軍をこの地で迎撃し、激しい戦いの末敗れましたが、一時鎌倉を占拠した時行も20日にして尊氏に滅ぼされたのです(中先代の乱)。

井手の沢は鎌倉期の歌謡、宴曲抄「善光寺修行」に「かれいい食うべしいにしえも、かかりし井手の沢辺かとよ、小山田の里に来にけらし」と詠まれており、弁当の干し飯を食べるに必要なきれいな水が湧き出ていた休憩地として有名でした。今も、地下水位は少し下がりましたが、境内の下を清水の流れる音が聞こえます。

井手の沢古戦場

由緒

室町期の永享年間、近在の大沢左近正次は、先祖の大沢七郎正純が鎌倉期元応年間に京都北野天神へ詣でた折に得た天神像(大沢家の守り本尊だったと言われます。)を、当地井手の沢の山上に奉安いたしました。
先述の中先代の乱で戦死者累々としたであろう当地に奉安されたということは、想像の域ながら、鎮魂という動機もあったと思われます。また足利将軍家が京都北野社を信仰していたこと、室町期には天神様は冤罪を晴らす神なる御性格が広まっていたこと等も関係しているのかもしれません。

時は下ってその子孫大沢玄蕃(げんば)は、江戸期初頭の寛永7年(1630)新たに渡唐の天神像を刻ませてここに奉安いたし、この地を寄進して本町田の鎮守としたのが当社の縁起であります。 尚、昔の本町田村はとても広い地域でしたが、天正10年(1582)分村が施行されました。本町田村から原町田村、大谷村が分かれ、新たなそれぞれの村は元の本町田村と同じ菅公を鎮守として祀ったのです。村民統治の必要性からであると共に、それ以前より村全体の人々から親しまれていたことを示すものと思います。

享保7年(1722)御本殿が再建され、天明5年(1785)社殿が造られました。
明治35年(1902)国の施策により、千眼天神社、大六天社、七面社、稲荷社、白山社の五社を合祀し、その後も菅公のご神徳と氏子崇敬者の篤い信仰により発展してまいりました。

新社殿新社殿

旧社殿旧社殿

由緒

由緒

主な事蹟を挙げれば、昭和8年には氏子の奉仕により長い石階段が造られました(左写真)。
昭和11年社殿の屋根を銅板葺きとし、昭和20年には戦禍を慮って御神体が奉遷されています。
昭和47年神楽殿社務所が建設され、昭和61年には拝殿を除く社殿が再建されました。
平成11年には菅公御神忌千百年祭記念事業として新神楽殿が、平成24年には新拝殿御造営が竣功いたし、平成29年3月参集殿が竣功いたします。

御祭神 菅原道真公

菅原道真公は一般には天神様とも呼ばれ、その広く深い御徳をお慕い申しあげております。
平安時代の承和12年6月25日、京都の文章道家にお生まれになり、幼少の頃から文才に優れ、五歳の時和歌を、十一歳で漢詩をおつくりになりました。

美しや 紅の色なる梅の花 阿呼が顔にもつけたくぞある

(五歳の時の和歌、「阿呼」は菅公の幼少名)

清和天皇の貞観中に文章得業生となり、後に文章博士、讃岐守、参議、式部大輔、左大辨、勘解由長官をと歴進し寛平6年遣唐大使に任命されましたが、唐国が乱れていたため遣唐使の中止を上奏し、長い間続いた大陸文化摂取の国交も中止され、文化の国風化の時代を迎えることになりました。
寛平9年権大納言右大将に、醍醐天皇の昌泰2年には右大臣として政治に参画されましたが、左大臣藤原時平の讒言(ざんげん)によって昌泰4年1月25日九州の太宰府に左遷されました。
配所においてのご生活は、天を怨まず人をとがめずひたすら皇室のご安泰を祈念され、延喜3年2月25日59歳でお亡くなりになりました。延長元年には罪を解かれ本官に復し正二位を贈られ、又道真公の威霊学徳を追慕する祠を京都の北野に建てて天満天神とし、一条天皇の正歴4年には左大臣正一位、ついで太政大臣を贈られました。

御祭神 菅原道真公

文教の神として崇敬されている各地の天満天神の本社は、京都の北野天満宮と福岡の大宰府天満宮であると言えましょう。
以下に菅公の和歌二首を掲げます。

風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ

海ならず たたへる水の底までに きよき心は月ぞてらさむ

境内・境外末社

愛宕社
火の神(火伏の神)、迦具土神(かぐつちのかみ)を祀る境内末社
創建年代不詳乍ら少なくとも明治期以前より鎮座
遷座改築を重ね今に至る。

弁天社
水の神、弁財天(習合神)を祀る。
平成二十六年今井地区より境内に遷座

山王社
山の神、大山祇神(おおやまつみのかみ)を祀る。
今井地区に鎮座の境外社。(下写真)

境内・境外末社

境内・境外末社