由緒

縁起

室町期の永享年間、近郷の大沢氏は天神像をこの井手の沢の山上に奉安いたしました。この天神像は大沢氏の先祖が鎌倉期の元応年間に京都北野天神へ詣でた折に得た像でした。
時は下って江戸期初頭の寛永7年(1630年)その子孫・大沢玄藩は新たに渡唐の天神像を刻ませてここに奉安いたし、この地を寄進して本町田の鎮守としたのが当社の縁起であります。


井手の沢古戦場

当神社は東京都旧跡「井手の沢古戦場」に建っています。鎌倉期建武2年(1335年)足利尊氏の弟・直義は、信州から一路南下した北条時行の軍をこの地で迎撃し、激しく戦いました。ここからは鎌倉まで一気に兵が押し下れるため、当地は鎌倉街道の中でも重要な地点でした。また井手の沢は鎌倉期の歌謡にも「かれいい食うべしいにしえも、かかりし井手の沢べかとよ・・」と詠まれ、弁当の干し飯を食べるのに必要な清水が湧き出ていた所として有名でした。


御祭神の菅原道真公について

菅原道真公は平安時代、京都の文章道家にお生まれになり、幼少の頃から文才に優れ、五歳の頃和歌を、十一歳で漢詩をおつくりになりました。後に文章博士、讃岐守、参議、式部大輔、左大辨、勘解由長官をと歴進し、寛平6年遣唐大使に任命されました。
寛平9年権大納言右大将に、醍醐天皇の昌泰2年には右大臣として政治に参画されましたが、左大臣藤原時平のざんげんによって九州の大宰府に左遷されました。配所においてのご生活は、天を怨まず人をとがめずひたすら皇室のご安泰を祈念され、延喜3年59歳でお亡くなりになりました。


四季彩ギャラリー

菅公の詠まれた和歌とともに、当神社の季節の移り変わりをご紹介します 写真をクリックしていただくと大きくなります

[春] 東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ

[夏] 彦星の 行きあひを待つかささぎの わたせる橋をわれにかさなむ

[秋] このたびは 幣もとりあへず手向山 もみぢの錦神のまにまに

[冬] 降る雪に 色まどはせる梅の花 うぐひすのみやわきてしのばむ

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