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杜のことづて

2017年7月7日

290707 豪雨の音 蝉の鳴く音

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 神社では夏越大祓、七夕もおわり、8月25日の例祭に向けての準備の追い込みに入る時期となりました。蒸し暑い日が続きますが、こちらの平穏な気象とは対照的に、北九州は烈しい豪雨が続いています。甚大な災害でお亡くなりなられた方々にはご冥福をお祈り申し上げるばかりです。さらに行方不明の方々も多く一刻も早く無事救出されるように、また被害に会われた多くの方々にはお見舞い申し上げつつ、一日も早く平穏な生活に戻れるようにお祈りいたすばかりです。

 

 この日本では、きっと多くの方が豪雨の恐ろしい雨音に怯えた経験をお持ちではないでしょうか。被害に至らなくとも、いつまでも続くような烈しい雨音にすべての音がかき消されて、世界が終わり無くただゴーーーと鳴っているあの状況、自分の存在までもがその音にかき消されるのではという畏れの感覚、私もいつかその恐ろしさを経験したことがあります。

 

 雨音が、他の多くの音の中の一つの音として聞こえれば、雨音は歌にも詩にもなり何の恐ろしさも感じません。しかし聴覚世界がその音だけで満たされてしまうと、他のあらゆる音は無にされてしまう、つまり全であるようでも無に等しい世界になってしまう。沈黙は新たな音を許容しますが、騒音で充満した世界は新たな音をかき消してしまいます。あの異様な豪雨の音の恐怖は、無に対する恐怖と同じなのかもしれません。ここでは私が多様な音の中から豪雨の音を聞くというのではなく、豪雨の音が否応なしに私の全感覚を覆ってしまうほどに迫ってくるのです。

 

 閑話になり申し訳ないのですが、一昨日の神社の日誌に、ある神職が初めて蝉の鳴くのを聞いたことを記していました。残念ながら私は留守で、今年蝉が鳴くのをまだ聞いていません。(ネットには、最低気温が例年より低めに推移していることが一つの理由とありました。)

 

 神社の例祭日はアブラゼミが一番元気な八月です。木が多いのでジーーーと休みなく盛んに鳴いています。毎年、巫女の「浦安の舞」のビデオを私が撮るのですが、地声の如く蝉の音が入っていて、後で見ても季節が一聴瞭然です。ただ蝉の音は雅楽(CDですが)をかき消すことはないので、安心していられるのです。

 

 むしろ蝉の音にずっと聞き入っていると、不思議に静けささえ感じます。やはり身に危険を感じないからでしょうか。それもあるでしょうが、様々な音の中から、私が意図してその音を聞くという構図が成り立っているからだと思います。あるいは他の事に集中すれば、その音は意識されずに背景に留まっていられるのです。

 

 また漠としたことで恐縮ですが、蝉の音で思い出すのは、以前「大菩薩峠」という中里介山の長編を読んだ時のことです。大分昔のことで、粗筋なども忘れていますが、終わりのないような、話も転々とする長い小説でした。山や里を舞台にした人々(江戸後期の物語)の描写が多く、なぜか引き込まれて勉学そっちのけで読んでいました。そして、その背景にはいつも蝉のジーーと鳴いている音がしているように感じたのを覚えています。介山は蝉の音を書きたかったわけなどないと思うのですが、それは私達の風土に昔から鳴いていた、風土の地声ではないかと思えます。