杜のことづて

2017/5/19

私達の自然

(11) 日本の山

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 私達の国には里山もあれば山岳もあり、♪いーまはやまなか/いーまは/はまー♪(古い文部省唱歌)、山を出ればすぐ海になる、日本は地図を開くまでもなく山国です。祖先達は山に棲む生き物を戴き、また山あいの平地で山の豊富な水を頼りに稲作を行って命の糧としてきました。山が人の命を恵んできたとも言えます。火山も多く烈しい濁流を生む等、山は荒れることも多かったのですから、恵み深く又恐ろしいところだったはずです。

 

 古来山は神霊が宿る聖域でした。そこに踏み込む山の人々は様々な霊異を経験しています。柳田国男の「遠野物語」や「山の人生」には 「・・この山に入り帰りたる者はまことに少なし。・・」等々山の怪が多数記されています。私も以前出会ったことがあります。冬のこと、ある低山に野宿した夜中、用を足しにツェルトを出ると、遥か向こうの真黒い尾根の上を狐火?がいくつも並んで行ったり来たりしているのでした。あり得ない不思議な光景に、今思い出しても戦慄を覚えます。

 

 崇高な山岳には神々が住み給うほか、都を見下ろす姿よく穏やかな山も神奈備(かむなび)と言われ、神鎮まるところでした。

「神奈備の三室の山(三輪山)を秋行けば錦断ち切る心地こそすれ」(古今和歌集)等の歌に見られる三輪山は、里の大神(おおみわ)神社の神体山、つまり山が御神体です。今の神社は一般的に社殿の本殿部分に神様がお鎮まりなのですが、大神神社には本殿が無く拝殿から三輪山を拝むのです。

 

 「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 不尽(富士)の高嶺に 雪は降りける」(万葉集富士山はその高さや大きさから、円錐型の極めて美しい姿から、更に恐ろしい活火山でもありましたから、大昔から信仰された神の山でした。この山を拝める広い地域に多くの浅間神社があります。(尚「あさま」とは、山の端が朝くっきりと見えること「朝隈」が語源とする説もあります。神奈備とは趣が異なりますが、富士山は浅間大社の神体山であり、今も頂上まで大社の境内となっています。

 

 一昔前まで、マタギやソマが山へ入る時には必ず山の神を祀る儀式を行ったそうです。山の恵みへの感謝や狩猟や伐採の成功又安全を祈りました。いつのころからか山への感謝や畏れを失い、山に経済的価値しか見なくなった現代、山の恵む力は弱まっているでしょう。山の神の力により鬱蒼とした緑が戻る、「もののけ姫」のような結末はやはり夢かと、自省しつつも残念に思うのです。

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