杜のことづて

2012/4/17

私達の自然

(1) かしこきもの

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 神社で、神様に様々な感謝や祈願を申し上げる大切なことばが祝詞です。祝詞文の最初、出だしは「掛け巻くもかしこき○○大神の大前に恐み恐みも白さく」と始まるのが一般的です。意味は、「言葉に出すのも心に思うのも畏れ多い○○大神の御前に恐れはばかって申し上げます」ということです。

 

 ここで、「かしこき」には、二つの意味が含まれていると考えられます。一つは、畏怖を込めて畏れ多いという意味、もう一つは、霊験あらたかで有り難いという意味です。双方に、測り知れないほど、という意味を添えるとより正確になると思います。
 

 神様を称え修飾するこの唱えことばは、考えてみれば、昔の人々が大きな自然に対して抱いたであろう心そのものではないでしょうか。今とは比較できない程、直接自然と触れあっていた古代の人々にとって、自然は「測り知れないほど恐ろしく且つ有り難い」存在であったことは容易に想像できます。大きな闇の恐怖、大地震や火山活動、台風や雷の脅威、陽光の恵み、海や大地の恵み、規則的に廻り来る四季、農耕を潤す慈雨の有り難さ、等々。
 

 日本では、神々しく又不可思議な自然そのものを神として崇め、或いは神が宿ると感じられる自然を尊んできました。神と自然のこの結びつきを考えれば、祝詞文での神様への唱えことばが、そのまま自然への唱えことばになるのは当然のことかもしれません。
 

 このような自然への眼差し、感覚が日本の風土で培われてきた以上、これを日本的な自然観と言うことができると思います。もちろん時代を経るに従って変化はあったはずですが、基本的にはこのような自然観がつい最近まではあったのではないでしょうか。明治期の文明開化以前までは。
 

 明治期以降は西欧文明を手本として模倣に努め、自然の捉え方も西欧近代の自然観を取り入れました。その結果、短期間に科学技術を発展させて、経済的又物質的に豊かな国となりました。そして私達は、自然への日本的感覚、感受性を忘れているように見えます。ただ去年の大震災を経た今、西欧的自然観が日本の風土で培われたものではなく、従って日本の風土に相応しいとは言い難いのではないか、それでも確かにその自然観は実利的には今後もさらに必要に違いないけれど、それだけでは私達の自然全体の半面しか見えないのではないかと思えるのです。(また別の視点から記したいと存じます。)

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