杜のことづて

2012/9/4

私達の自然

(4) ものの見方の変化

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 私達日本人のものの見方(ここで「もの」とは「あらゆる物事」の意味です。人の、命の、自然の、国の、世界の見方)や考え方は、ここ百五十年足らずの間に二度の大きな変化を経験したと思われます。先ず明治期の文明開化による変化です。欧米列強に負けぬ文明国を目指し、西欧文明を手本とした新たなものの見方に習い、私達の親、祖父、曾祖父ほんの三世代程の短期間に(もちろん人々の努力の賜として)、便利で豊かな国の今が導かれました。漢才ならぬ洋才が尊ばれたわけですが、ただ戦前まではまだ国柄や伝統を大切にする心(和魂)がしっかりあって、和魂洋才に努めていたものと思えます。


 さらに先の大戦によっても大きく変わりました。戦後の学校では戦勝国(GHQ)の指導の下、私達の古来の国柄や神々への信仰は黒く塗られ国柄抜きの教科書が使われて、それが今世間に充分浸透したようです。その結果としての現代的なものの見方によって、多くの場合私達は生活したり考えたりしています。和魂も見え難くなり、多くの人々が生活する都市部では私達はどこのどなたなのかも曖昧なまま、グローバルな存在を目指しているようです。

 私達の先祖がどの様なものの見方をしていたのかを想像すれば、つい最近まで時代を越えて繋がっていた伝統が断たれてしまったとしか思えないほど、様々な面で、ものの見方或いは考え方が変わったように思えるのです。地域文化的なものより科学的或いは経済的一般性が重視され、田舎の共同体の一員としてより都市的な匿名的個人の自由が追い求められてきました。しかし匿名的個人の(責任を免れた)自由とは、虚ろな幻に違いありません。

 そしてあの東日本大震災は、今の自然観(西欧近代の、自然=対象物というものの見方)や利己的な考え方では対応できないと感じます。自然の余りにも巨大な振る舞いの前では、私達に出来ることはなんとか逃げ延びること、そしてそのために英知を結集して防災に努めることまでで、自然を操作することは困難でしょう。この小さな日本には西欧近代の自然観では捉えられない大きな畏怖すべき自然があります。

 また、被災地のがれきの全国的な受け入れが放射能リスクを拒否する地域住民の反対によりなかなか進みませんが、思うに、被災地の大きなリスク、困窮を減らすためなら全国的に皆で少しずつリスクを背負うのが倫理的に良いことではないでしょうか。

 人が自然に包まれる日本の伝統的な自然観と、人と自然が対置される近~現代的な自然観、その両者が錯綜する現代、私達がこれから明日に向かっていくのに、何処を基礎としていったらよいのか、私達のこれからのものの見方はどの辺りに根差していくのでしょうか。私にはよくわかりませんのでこのように思いめぐらすのですが。

 一つ明白なことは、昨日の上に私達の今と明日があるということ。そして今とは集積された膨大な過去の上に成り立つ時、昨日と明日を結び繋げる時です。 もちろん明日を方向付けるのも今であり、そこに新たなものの見方が期待されるのですし、よりよい明日を求める余地があります。ただ、私達の遠い昔から昨日まで積み重ねられてきた過去に学び、参照することは不可欠なことです。ものの見方に断絶があるならば、繋げる努力が必要になるでしょう。

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