杜のことづて

2011/2/23

杜のことづて

230223 赤ん坊時代の物語 030828更新

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島

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島


 自分の幼少期のことをよく記憶されている方もおられるようですが、私などは幼稚園の頃の記憶さえ極めて断片的で心許ないのが実際で、少々情けなく感じます。二、三歳以前ともなると、私に限らず多数の方は記憶外となるのが一般的ではないでしょうか。もちろん無意識の内には刷り込まれていて、今の自分の基礎になっているわけですが。

 私達は、「私」は以前からずっと「私」であると意識しています。しかし誰にも赤ん坊の時代がありました。「私」がまだ未分化だったその頃は、もちろん「私」という意識はなく、今の「私」はまだなかったはずです。その頃の自分は母親と一体であったり、自分を取りまく世界との一体性の中で生きていました。誰でもその頃を体験してきたのに、自分がどうだったのかは未知で、記憶がないのですから思い出すこともできない朧な世界です。ただそのような未分化な世界こそが、以後の「私」の未知なる源郷になっているのです。

 赤ん坊は日に日に成長し、母親との一体性から徐々に離れて、初期の「私」の意識が芽生えてゆきます。喃語から始まった言葉も、お互いの意思疎通ができるようになり、赤ん坊時代は終わり幼児期へと進みます。やがて言葉もよく分かるようになり、子供なりの「私」がしっかりしてくると、親、家族、親戚の人々はその子が赤ん坊だった頃の未知の世界について、その子に語り始めます。以降折々、その源郷について写真なども交えて語ってくれます。そこは自分には未知の世界、素直に聞くしかないのです。

 「この絵本が好きで分りもしないのにじっと見てたよ。ここはお前が噛んだ痕だな。」「今はよくおしゃべりできるけど、言葉が出るのが遅くてね、ちょっと心配したよ。」「歩き始めは早かったな、かけっこ速いのもわかるね。」「クレヨン持たせると何にでも描くので大変だった。シーツまで描かれた。」「ハイハイが速くてね、勢いで階段から落ちたこともあった。目が離せなかったよ。」「とても賢い子でね、物分かりが早かった。」「赤ん坊の頃はとても泣き虫だったのに、まあ今はよく笑う子になったね。」「あの叔父さんにはよく遊んでもらったんだよ」・・・・・

 そのような多くの語りのお蔭で、記憶のない未知の世界は徐々に意味で埋められ、その後の「私」に繋がれて、心の真実を形作るでしょう。詳細は曖昧でも、正に人の黎明期の物語を構成して、「私」がそこから成長していくための基礎を形作ってくれています。今は一見明確とも思える自分の意識ですが、発生的には「私」の源郷は、言わば物語世界にあると言えます。各々の赤ん坊時代の物語こそが、各々の心のかけがえのない真実となって、大人になった「私」達を毎日支えているのだと思われます。

 
 黎明期の物語という相似から記すのですが、民族の黎明期を語る神話も、その民族の人々の心に刻まれて、歴史や文化を基礎づけ支えている大切なものです。日本にも様々な神話があり、私達日本人の、かけがいのない源郷となっています。ただ残念ながら、なぜか学校では神話の詳細については教えてはくれません。自らの国の神話を伝えないとは・・! 最近は漫画化されて子供にも親しめる古事記などもあり、思わず引き込まれてしまいます。是非親子で読んでみてはいかがでしょうか。
 尚、神社本庁のホームページには、有名な神話を紹介するページがあります。http://www.jinjahoncho.or.jp

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