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杜のことづて

2019年8月13日

私達の自然 (11) 蝉の声

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 急な猛暑がやってきたこの夏、セミの声を聞いたのは案外遅かったようです。梅雨の気温が低かったためでしょうか。記憶では、今年令和の初聞きは、ここ町田ではなく都心の道で明治神宮の杜の方からのアブラゼミの声でした。またこの辺りでは年によってはヒグラシの声が初聞きの年もあります。年により随分差があります。

 

 昭和中期私が子供の頃、針金を丸め竹棒に括り付け、そこに大きなクモの巣を幾重にも貼り付けた手製捕虫網で、蝉取りに勤しんだものでした。虫かごの中で犠牲になったセミ達は少なからず。今でもたまに、境内で白い捕虫網を手にした子供たちを見かけます。

 

 以前「杜のことづて」に、夏に盛んな蝉の合唱も、聞き入っていると静けささえ感じると記しました。確かに涼しい風などが吹いている中で聞き入りますとそうなのです。しかし、それは七月の、まだ暑さも始まったばかりに記した感慨でした。八月の35度を超えるような湿気熱気を帯びた昼間、セミ達の合唱を聞くと暑さが強調されるように感じてしまうのも実際です。アブラゼミの「ジージージーー」とミンミンゼミの「ミーンミンミンミーー」それにたまに以前は聞くことの無かった「シャンシャンシャー」とこの辺りでもクマゼミが入ることもあり、肌だけでなく耳からも熱を感じ、正に相乗効果です。何かリズムを醸し出すこともない。しかしこの元気な合唱がなくては夏らしくならないのです。そしてこの合唱が弱まると晩夏そして秋が訪れます。

 

 蝉の生態は別にして(春蝉も別にして)、蝉の声と私達の関係について見ますと、大別すれば二つに分かれます。一方は前述のアブラゼミとミンミンゼミを代表とする夏組、もう一方は次に記すヒグラシとツクツクボウシの秋組です。

 

 夕影に 来(き)鳴くひぐらし ここだくも 日ごとに聞けど 飽かぬ声かも (万葉集 詠み人しらず)

 

 人の世の 悲し悲しと 蜩(ひぐらし)が (高浜虚子)

 

 ヒグラシは俳諧では秋の季語 、また万葉集の蝉の歌は十首だそうですが、その内九首はヒグラシを詠んだ歌ということです。いかにヒグラシが日本的情趣にとって魅力的かを物語っています。虚子の句のように、その声はもの悲しさをも呼び起こすようです。薄暗い明け方や夕暮れ時の「カーナカナカナカナーーー」、ヒグラシの輪唱は何という夢幻でしょうか。遠いヒグラシの声が近いヒグラシの声を呼び、遠い輪唱に近くのヒグラシが加わり、遠近強弱に富んだ輪唱となる響きには、澄んだ静寂さえ感じます。ミニマル音楽で著名な音楽家ライヒのある曲は、ヒグラシの輪唱のようであり、その鳴き方に影響されたのではないかとさえ想像します。秋の季語とは言っても、夏の初めの薄明時にも、その涼やかな輪唱を遠く耳にします。どこかへ連れていかれそうになります。

 

 しづけさの きはまれば鳴く 法師蝉 (日野草城) 

 

 次はツクツクボウシ、法師蝉とも言い、秋の季語です。ミンミンゼミを細く小型にしたような地味な身体つき、「ジーツクツク オーシーンツクツク ツクシーオーツクシーオーオー」と表情豊かな鳴き方、合唱よりは単独で聞くことが多い蝉です。この鳴き声を聞くと、夏はそろそろ終わりだなと感じます。ただしツクツクボウシはそれ以前にも鳴くことがあり、初秋セミ達の合唱が静まると俄然目立ってくるということのようです。しんみりと、夏が去り秋の訪れを告げるべく、陽射しはまだ強いものの、からっとした初秋の風の中で、すぐ近くで急に鳴き始めたりします。

ヒグラシをソプラノとすれば、こちらはメゾソプラノでしょうか。

 

 * 蝉の分布、発生時期等は各地方によってかなり異なっているはずですので、以上の感想はここ多摩周辺のセミ達によるものです。

 

 ヒグラシやツクツクボウシの声が私達の感性や心に響いてくるこの感興は、正に季節の移り変わる情趣と重なります。「をりふしの移り変はるこそ、ものごとにあはれなれ」(徒然草)

 

 科学的な因果からすれば、確かに季節の変化がヒグラシやツクツクボウシを鳴かせるのですが、私達の心理からすれば、ヒグラシ達の声が心から季節を変える要因となるのも真実です。

 

 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 (松尾芭蕉)

 

 いずれにしても、以上のように感じることは人の感覚の身勝手とも思われ、アブラゼミやミンミンゼミには申し訳ないような気もします。ただ、この風土の中で培われた情趣は恣意性とは異なる自然的な感覚です。また、そもそも情趣だけが高い価値を持つわけでなく、あまり歌に詠まれないミンミンゼミやアブラゼミも、無くてはならない夏の象徴なのです。なお、上の「奥の細道」中の有名句の蝉は、詠まれた場所(東北の寺)時季(七月)からニイニイゼミとされていますが、斎藤茂吉は初めアブラゼミと断じていたそうです。茂吉にとってはアブラゼミも、閑かさを可能にする声だったのでした。

 

 昔々何時の頃からか、私達の夏は蝉の鳴き声と共にありました。少し前までの家の造りは音には開放的でしたから、常に周囲の自然の音を聞いていました。八月や九月生まれの方は生まれた時既に、また先祖や家族が集まっていた盆の時期に、終戦の日も、蝉の声に包まれていたはずです。

 

 そのような聴覚世界に在り続けていたことが私達にどのような影響をもたらしてきたかは分かりませんが、少なくとも感覚や感性という人の最も基本的な部分に大きく働きかけてきたに違いありません。蝉の声に限らず、私達は人も含めて毎日様々な自然に接し、包まれ、影響し合いながら生きていますが、それが風土なるものの意味ではないでしょうか。そしてその帰結として広い意味での私達の文化が形作られているのだと思えます。

 

 松風の 絶え間を蝉の しぐれかな (夏目漱石)

 

 蝉は夏から秋の季語として多くの文学者が発句してきました。漱石のこの句、松の梢を吹く風は少し強いと結構大きな風音がしますが、ふと風が弱まった時、背景の蝉しぐれが急にクローズアップされる状況でしょう。ただ、この句では 松風も蝉しぐれもその賑やかな音の割には、静謐さを湛えています。漱石の感覚が静謐なのでしょう。

 

 古代から蝉の声(殊にヒグラシ)は、日本人のたましいを詩の世界に誘ってきたのでした。言葉の表現が残らない縄文、弥生の頃の人々も、今とは蝉の分布や鳴く時季も違っていたのでしようが、森や浜で蝉の声に耳を傾けることもあったはずです。或いは森の神々の声とも受け取ったのかもしれません。